マイペースすぎるけだるい運転手
イエローキャブに乗り、空港からNYCに向かいます。タクシーに揺られながら、飛行機で聴いたPUFFYの「渚にまつわるエトセトラ」のフレーズがまだ頭の中で響いていました。当時はサプライズで家族旅行に連れて行ってもらったときに、両親のいる、前の座席に身を乗り出して行先をたずね続けていました。対して今、前の座席にいるのは、けだるい表情で、まるで荷物を運ぶように荒い運転で私を目的地まで乗せて行く運転手。冷房の冷気は前の席までで遮断され、後部座席の私のもとには全く届かず汗びっしょり。ああここでは誰も自分のことを気にしてないんだなあと、とんでもなく自由になった気分になりました。
違いがあまりにも溢れている
さて、空港から40~50分でNYCのホテルに到着。荷物を置き、近くを歩いていると、街では平日のお昼ということもあり、多くのビジネスマンやその他の大人達が昼食を買いに出かけているのを見かけました。肌の色も髪の色も違う人たちが街を行く光景は、当たり前なのですが実際に見るとあまりに新鮮でした。日本だと黄色みがかった肌の人ばかりなのが当たり前なのに。NYは移民の玄関口として様々な国の人を迎え入れているので、パッと見ただけでは誰が外国人なのかよくわかりません。・・・などと考えていると、英語だけでなくスペイン語もふっと耳を横切ります。誰が外の人で誰が内の人なのかなど、考えたらきりがないでしょう。人種のサラダボウルって聞いたことがありますが、まさにこの言葉がぴったり!
合わせられないから自分を見つめる
そして、これだけ違いの溢れる世界に身を置いたら、細かい違いはきっと気にならなくなるだろうと思いました。今までに、日本人はまわりと違うことを気にしすぎると聞いたことがあったのですが、そこまでなのか?ただの固定観念だろう?と疑問に思っていました。でも、確かに、もしNYが標準だとしたら、日本はそういうことになるでしょう。ここまではっきりと違いを意識させられると、まわりに合わせる気なんてさらさらなくなるんだと思います。
服装でも、あまりコンプレックスを隠すようなファッションは見られず、むしろカジュアルで余分なものを剥いで剥いで素を見てくれ!と言われているような印象。NYというと最先端のファッションが溢れているようなイメージを勝手に持っていたのですが、みんな好きな年代の服を着たいように着ていると感じました。道沿いの建物には、あらゆるところにヨガの看板やスポーツジムが見られ、きっとこういう機会が素を極めるお手伝いをしているのだと思います。
まわりには合わせたくても合わせられないから、とにかく自分を見つめられる街なのかもしれない。